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제목 일한 1급 2교시-인문사회
작성자   관리자 작성일자 2014.11.25 조회수 5244
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일·한 번역 1급 2교시-인문사회
[제한시간 70분, 50점]
 
※ 다음 3문제 중 2문제를 선택하여 한국어로 번역하시오.
 
[문제1]

北朝鮮外務省は13日に声明を発表し、ウラン濃縮作業の開始と新たに抽出したプルトニウムの全量を核兵器の製造に使用すること、また封鎖を行った場合には戦争行為と見なして軍事的に対応すること、などの宣言を行った。国連安全保障理事会は北朝鮮による2回目の核実験を非難し、その制裁措置を具体的に定めた1874号決議を満場一致で通過させたが、北朝鮮の声明はそれからわずか15時間後のことだった。この1874号決議では北朝鮮への武器の禁輸、金融制裁、貨物検査などの措置を拡大するという内容とともに、それらに関する非常に具体的な履行措置についても定められている。

 北朝鮮が発表した項目の中でとりわけ注目すべきは、ウラン濃縮作業に着手するという内容だ。核兵器はウラン濃縮からも、またプルトニウムからも製造することができる。北朝鮮が2回にわたって核実験を行ったのは、いずれもプルトニウムを利用したものだった。しかしウラン濃縮によっても核兵器を製造するようになれば、北朝鮮は核開発のために必要なルートをすべて持つことになる。またウラン濃縮はプルトニウム抽出よりもはるかに極秘に行うことができ、捕捉することも難しい。つまりこれが実際に行われれば、核問題の解決がさらに困難となる以外にないということだ。

 北朝鮮は声明で、「ウラン濃縮技術の開発は順調に進んでおり、すでに試験段階に入っている」とも発表した。つまりかなり以前からウラン濃縮作業を行ってきたという事実を、北朝鮮がみずから明らかにしたことになる。

 北朝鮮はすでに20年前からウラン濃縮技術を開発してきたとされている。2004年にこの技術を流出させた容疑で逮捕されたカーン博士は、1991年から北朝鮮に対してウラン濃縮に必要な設備、設計図、その他の関連技術を売却し、北朝鮮の技術者に対しても教育を行ってきたと証言している。カーン博士は「パキスタン核開発の父」ともいわれる人物だ。

 パキスタンのムシャラフ前大統領も自らの自叙伝で、カーン博士がウラン濃縮用の遠心分離器P-1だけでなく、新型のP-2も合わせた20台を北朝鮮に販売したと明らかにしている。米国のクリントン元大統領もやはり自らの自叙伝で、「北朝鮮は1998年の時点ですでに2個ほどの核爆弾を製造可能な高濃縮ウランを生産し、ジュネーブ合意に違反していたことを退任後になって知った」という。

 

 

[문제2] 

神道によれば、古代の日本人はこの自然の恵みを「明き清き直き心」をもって受け容れた。彼らは自然を人間の対立者として捉えるのではなくて自分たちはつねに自然「と共に在る」という意識をもっていた。みずから風土との一体化を求め、自然のなかに「神々」を感じ取り、花鳥風月、山川草木の「妙」を愛でたのである。仏教の伝来も、中国文化や西洋文明の流入も、この日本人の本性を変えることはなかった。日本人は自然に親しみを感じている。もっともその、自然と人間との隔てなさには、自然の美を愛することと、自然の力を畏れることのアンビヴァレンスが見られるけれども、いずれにしても、日本人は自然を前にして論じること、あげつらうことはしなかった。この点では空観を展開したインドはむろんのこと、たとえば「無為自然」を唱道する老荘哲学をもつ中国とも違っている。「自然と人間との関係においては、基本的に対立性をもつ」と小西甚一が指摘しているように、中国には自然に対してある種の阻隔が見られるようだ。そして事実、自然を主題とする詩は少ない。「国破れて山河あり」「年々歳々花あひ似たり⁄歳々年々人同じからず」と、悠久な自然に対する人間のはかなさを歌った杜甫は目覚ましい例外的事例である。中国の伝統では人間と自然は対立的に捉えられ、自然と人間は離間している。中国人は思弁的言説を弄すると本居宣長は考えて、有名な「漢意」批判を展開した。漢意とは「こちたきさかしら心」であり、「万の事の善悪是非を論ひ、物の理をさだめいふたぐひ」である。こうした抽象的=概念的把握を排してモノの本質に直接的に触れることを、宣長は主張した。「すべて世の中にありとある事にふれて、その趣き・心ばえをわきまへ知りて、うれしかるべきことはうれしく、をかしかるべきことはをかしく、悲しかるべきことは悲しく、恋しかるべきことは恋しく、それぞれに情の感くが、物のあはれをしるなり。それを何とも思はず、情の感かぬが、物のあはれを知らぬなり。されば、物のあはれを知るを心ある人といひ、知らぬを心なき人といふなり」。「万の事の心(本質)をわが心にわきまへ知る」こと――これが「物のあはれを知る」ということである。要するに素直に、素朴に「物に感ずる」こと。宣長の「漢意」批判は日本人の即物主義=此岸主義をよく代弁している。自然を前にして日本人は思弁にふけるよりは一体化しようとする。さらに進んで人間は自然の一部であると思念されることになる。風雅の極みは自然(造化)の懐に帰一することである。松尾芭蕉は「造化にしたがひ、造化にかへれ」と唱道する。この境位を歌にしたのが俳諧にほかならない。

「見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし」。このとき自然はあげつらう対象ではなくて、なによりも歌う対象である。日本人は自然を抒情化する。

 

 

[문제3] 

体の小さかった私は少年時代から、手作りの軍配を手に村相撲の“豆行司”を務めていた。華やかな大相撲の世界に憧れ、伝手を頼って十五歳で角界入りする。卒業式にも出ず、故郷・延岡から夜汽車に乗って本場所前の大阪に向かったのだった。だが、行司の世界も厳しい身分社会である。私が念願の十両格行司に昇進できたのは、入門して二十二年、三十七歳のときのことだ。十両格になれば、足袋の着用が許され、直垂も膝下で縛る必要がなくなる。身の回りの世話をする付け人もつき、竹製の「明け荷」を持つこともできる。力さえあればスピード昇進が可能な力士と比べ、行司は基本的には年功序列。だからこそ、感慨もひとしおだった。あまり知られていないが、「相撲字」と呼ばれる独特の太い字体で番付を書くのも、勝負を裁くことと並んで行司の大切な仕事である。満員御礼を願って字間を詰めて書く。入門当初の見習い中は、山、川、海、錦など当時の四股名に多かった漢字ばかり練習していた。相撲字の腕前を見れば、行司としての力量も分かるものだ。まさに経験がものを言う世界なのだが、今でも本場所中は神経が張り詰めていて、胃腸薬や腰痛薬、生薬強心剤を手放せずにいる。一時期は耳鳴りの薬を服用していたこともあるほどだ。だが、最後は神頼みしかない。故郷にある今山大師の小さな銅像を肌身離さず持っている。不安要素は一つでも少なくして、満を持して土俵に上がるのだ。立行司が帯刀しているのは、差し違えれば切腹も辞さないという覚悟を意味している。それだけに私がまだ序二段格行司だった頃、「世紀の誤審」と呼ばれた大鵬・戸田の一番は記憶に残っている。式守伊之助は大鵬に軍配を上げたが、物言いがつき、行司差し違えで戸田の勝ちとなった。大鵬の連勝記録は止まってしまったが、翌日の新聞は土俵を割った戸田の足を捉えていた。毅然と掲げた伊之助の軍配に間違いはなかったのである。この一番を契機に、のちにビデオ判定が導入された。相撲の場合、最終的な判定権限は行司ではなく、審判部にある。しかしビデオを見ているだけでは、流れの中の死に体やかばい手は判断できない。生の攻防を見極めることが肝心なのだ。私の軍配には「決断一瞬」と書かれているが、軍配一つに己を賭ける――

行司の矜持をその言葉にこめている。私が立行司に昇格してからは、朝青龍、白鵬と二人の横綱の一番を裁いてきた。朝青龍は抜群のスピードで次から次へと多彩な技を繰り出す。行司としても大変だった。一方、白鵬は巧さ、柔らかさ、天性の素質を持っている。


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