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제목 일한 2급 2교시-인문사회
작성자   관리자 작성일자 2014.11.25 조회수 7033
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일·한 번역 2급 2교시-인문사회
[제한시간 70분, 50점]
 
※ 다음 3문제 중 2문제를 선택하여 한국어로 번역하시오.  

[문제1]

ヒラリー・クリントン米国務長官の父親、ヒュー・ローダムは、亡くなるまで、徹底した共和党支持者だった。ローダム氏は冗談ではあったが、「ヒラリーをウェルズリー大学に行かせたのは、大きなミスだった」と言っていた。家族の期待を一身に負っていた長女が、父親の嫌うヒッピーのように見て、聞いて、着こなし、父親が白眼視する進歩性向のニューヨーク・タイムズ(NYT)を読むのも我慢できなかった。しかし、ローダム氏も娘婿のビル・クリントン氏が民主党の大統領候補に立候補すると、「私も共和党員だ。しかし、あいつ(ビル・クリントン)は本当に素晴らしいやつだ」と、選挙運動に乗り出した。

娘を多く持つ父親ほど、進歩性向になるという調査結果が出た。英紙「テレグラフ」は、自国の世帯に対する調査資料を分析した結果、娘を多く持つ父親は、進歩性向の労働党への支持率が高かったと24、報じた。3人の息子を持つ両親の67%が労働党に投票したのに対して、3人の娘がいる世帯の労働党支持率は77%だった。娘が2人や4人の家族も、似たような投票傾向を示した。

英ウォリック大学のアンドリュー・オズワルド教授は、「娘の存在は、父親らの政治的見解を変化させ、『女性的な欲求』を一段と好意的に受け入れさせる」と分析した。出産や育児への負担を持つ女性らは、政府に対し増税や公的役割の拡大、女性負担の軽減を要求し、このような娘を持つ父親は、同調現象を示しやすいという。娘が苦労するのを見かねる父性愛のようだ。一方、息子を持つ母親は、公共的な役割の縮小や減税を好む「男性的な傾向」により近い。政治的な性向や支持政党も、父親や母親の愛情の前では従属的な変数に過ぎないだろうか。

子供の有無によって、米下院議員らの法案への見解が異なるという研究結果もある。子供がいるほど進歩的で、娘がいればさらにそうだという。妻のために政治的な見解や支持する政党を変えたという話は、あまり聞いたことがない。なぜ、こともあろうに娘だろうか。おそらく、妻や娘に対し、男性は二重の基準を適用しているためだろう。ビールは妻にはアルコールだが、娘には飲み物になる。妻が「花より男子」を見る時は情けなく思うが、娘が見る時は、何気なく、割り込んで知ったかぶりをする。

 

[문제2]

年の暮れは、いまと違ってそれはそれは忙しく、障子の張替えから始まって、カーテンや椅子カヴァーのお洗濯、お勝手の床下や天井や鴨居の掃き掃除、壁掛けの清拭きと、ふだんは手をかけないところを、丁寧に大掃除をする。ガラスは酢を混ぜた水、畳は硼酸入りのぬるま湯、油染みた台所の什器やガラス戸は粉石鹸を溶いた水で拭いて、それをまた酢水で拭き直して、から拭きをしてと、手をかける。お正月の献立作りに間に合うように、お餅や乾物やお野菜を、出入りの御用聞きに発注するのもわたしの仕事だった。やりくりのコツはこのころに覚えた。無駄のないように、お正月の間に使い切るように、しかし足りなくて困ることのないように、よく考えて注文するのである。お肉とお魚は足が速いから、大晦日の朝届けてもらうようにする。もちろん、奥様はもう一度戦勝セールへお出かけになり、綸子の訪問着を誂えられた。三越の呉服部の懇意の方に、なんとか大晦日までに仕立てて届けてくれるように頼まれたそうだ。それ以外にも、旦那様のワイシャツや肌着など、買いおかなければならないものがたくさんあるから、奥様は外回りのお仕事、わたしは内向きのことに専念する。暮れのご挨拶なども、奥様しゃきしゃきと回っていらした。クリスマスが近づく頃に、オリンピック東京大会の日程が正式決定して、

那様の表情が、ひときわやわらいだ。クリスマスイヴにはまた、奥様のご実家からおじいちゃま、おばあちゃまがみえて、ぼっちゃんを中心に楽しいクリスマス会をなさった。暮れも押し詰まると、家事は本番である。数の子は二十七日の朝から水に漬けて塩抜きをする。味付けは大晦日だけれど、塩抜きが甘いとしょっぱくて食べられない。なにもかも大晦日では大変だから、二十九日には伸し餅を切り、三十

日には黒豆やごまめを煮て、おなますなどの保存の利くものも作っておく。そうしておいて、鏡餅のお飾りやら、玄関の輪飾り、お正月用のお花や盆栽を買いに出かける奥様のお供もする。大晦日は朝から

フル回転だ。敷布、布団カヴァー、下着類や靴下など、洗い残しのないようにお洗濯をする。お玄関先では、旦那様が仕事師に指示をして門松を立てる。午後からはお料理の本番が始まる。これは奥様と二人がかりでお支度に励む。できあがった伊達巻やら昆布巻やら錦玉子やらきんとんやらを、お重に詰める前に粗熱を取る間にも、お三方にうらじろとゆずり葉と昆布と橙でお化粧した鏡餅を載せ、床の間に松竹梅の軸を掛け、応接間の花をお活けになる奥様のお手伝いをしながら生け花の勉強もする。

 

[문제3]

群集心理といわれるものがある。人間は個人として振舞うとき、社会的人格として認められるに必要な制約を受けているが、集団の中に埋没するとこの制約は希薄になり、無責任で野放しの行動に走りがちになる……と。だからそれは集団行動の野蛮性の説明にはなりえても、それ自体では人間を戦争へと駆り立てるものの解明にはなりえない。それと同様にいわれる「性悪説」のたぐいも、もとが悪いから悪いことをするという同義反復にすぎない。だが現代の戦争に関して人間が直面しているのは、たんに「悪」を名指してすむといったことではなく、「善」であるはずのものが災厄として実現されてしまうという厄介な事態なのだ。<人間>とは自分自身によって立てられる積極的な価値である。人間が生存を意欲し、自己の存在を肯定しようとするかぎり、<人間>は「善」でしかありえない。だから善悪の超越的な基準があって、それによって人間の振舞いが判断されるのではなく、人間が存在する、そして存続するという事実そのものの肯定にまず<善>の基盤がある。そしてその基軸に照らして、人間の存続を脅かすもの、阻害するものが、人間にとっての<悪>ということになる。そのように、人間の存在が<善>でしかありえないとすれば、それが実は<悪>だったのだと言ったところで、結果の規定を原因に遡及させるだけで何を説明したことにもならない。それに人間は、自分の存在を頭から否定するのでないかぎり、自分をア・プリオリに<悪>として立てることはできないのだ。だから問題は、人間の内に<悪>の起源を見出して、人間と戦争との見かけの不等号の下に隠された等号を見つけ出すことではなく、<善>であるはずのものが避けがたく<悪>に転化してしまうという、その捩れた事実そのものの構造を解明することにある。だがすでに述べたように、そのような観点はかならずしも戦争を対象とした反省の中から生まれたのではない。むしろそれは直接には戦争と関係のない他の領域の研究の中から生まれてきた。そのもっとも顕著な例はフロイトの探求、とりわけ彼が「メタサイコロジー」と呼んだ一連の考察であり、より限定された見地からは、カイヨワもその一人であるフランス社会学の一流派や、コンラート・ローレンツの動物行動学などを挙げることもできる。

 

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